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日記
雨の日: 今日は雨が降っていました。朝はずぶぬれで学校へ行きました。お昼から晴れました。 私という存在とは何でしょうか、私は私であって一つの個物であることは間違いないのです。 ”イデア”という概念を信じれば私という概念(設計図)が別の場所に存在し それによって私という人物は生成されているはずです。 それでは 真の”私”とは一体どこにいるのでしょうか ”イデア”から私が生成されているのであれば 私という存在はたくさん作れるはずです。 そうなれば私はダミー? それともすべてが本物であるのか? もしすべてが本物であるとすれば、私はほかの”私”を認識できないであろう。 すべて“私”であるからである。 もし私がダミーであるとするならば 私はほかの”私”を認識できるだろう。ドッペルゲンガーのように よって私は本物の”私”なのである しかし、それは本物の”私”が一人だけということを表しているわけではない 人々の脳内、空間、わたしの後ろにも2人目3人目の私がいるかもしれない むしろ今ここのいる私は何万人目の”私”であるかもしれない 今日雨にぬれた私は本物の私であるとここにいる私は思いたい。 他の”私”は風邪をひいていないだろうか? 雨上がりのほんのり赤みがかった空: 脳内への侵入 人間を構成するものは何であろうか 臓器、皮膚、骨、血、そして心 言いかえれば 入れ物、心 どちらが壊れても人間は崩壊するとここでは定義する 心が壊れる瞬間は 人間の過去の経験し得なかったことが連続して起こるとき その”こと”とは社会現象であるか?言葉であるか?夢であるか? 壊れた心には他者が入り込めるのである 自分というものをなくしているので他の自分を探すから。 それに他者がなりえたのならばそれは他者が自由にコントロール、脳内へ侵入したことと同義である よって後はその”こと”を探すだけ あまりに他人を理解しすぎようとする者、あまりに他者を愛しているもの、そして自分の無意識下に戒めるための言葉 青の月、創造日の次の日: ある小説の引用 なくなるということは楽なことであるのか 楽ということはその個物が感じることの一種である。 なくなるということはその個物の存在が消え、感じることもできなくなる その個物しか感じることのできないものを違うものが推量するということは不可能である そのため、なくなるということが楽なのか苦痛なのかそれは誰にも分からないことである 1つの概念から創造されるたくさんの同じようなもの: 貿易による発展とは本当に発展と言えるのだろうか 貿易とは他から何かをまねするということでありそれが現在あるものより優れている と人間が相対的に評価するためそれは発展と言っているのだろう しかし、これは同化とは言えないだろうか? また相対的に見て優れているものをどんどんと取り入れていると間違いが起こるのではないだろうか? たとえば麻薬が公認されていた時代である 麻薬を使うことは何も悪くないことであり、社会もそれを認めていた。 この時国民はどう思っていただろう 「麻薬を使うことは別に犯罪でも何でもなくそんなことは問題にもならない」 そう思っていたのではないだろうか? これが相対的にしか判断できない人間の怖いところである。 しかし、ある時麻薬は犯罪だと国が言ったら国民はたちまち 「これは犯罪だ!絶対にやってはいけない!」 と態度を変えるだろう。 本当にそんなことでよいのか? 前述したが同化するということは相対的に見て良いものを取り入れるということであり 貿易とはその”良いもの”の入口である そのため気付かずにとんでもないものを呼び寄せている可能性は大いにあり 周りに流されず自らの目、自らの予備知識のない考えで良いもの悪いものを分別しなければいけない 自分という港は常に開港状態である 月下煌き: 月の下、あまねく感性。夕暗がりの木陰の下、ざわめきの葉枝と月は戯れ。月の海は兎となり