《予備知識》
日米修好通商条約が解消されたのは日本が日清戦争において清に勝利したのちの明治32年7月17日
日米通商航海条約が発効したのと同時に失効した。
《横浜港》
日米修好通商条約に基づき開港、生糸貿易の中心港としてまた京浜工業地帯の工業港東京の外港として
大きく発展した
第2次世界大戦、その後の連合軍の駐留により大きな打撃を受けたが昭和25年(1950年)制定の
港湾法にとり横浜市が港湾管理者となった
横浜港
幕府が開港場の建設に投じた経費は1859年4月9万2089両
工事は日米修好通商条約の翌年から始まり目を見張る速さで進んでいった(翌年の6月には完成)
当時の黒船の乗員のS.W.ウィリアムスの横浜の印象
「日本人は苦しい生活水準であった。
男たちは血色もよく栄養も十分であるが
女たちは眉を剃り落として
身なりも対してきれいではなかった」
またアメリカ人はキリスト教だったので当時の亡骸は村のはずれに埋め墓石は違うところに
たくさん立ち並ぶといったことが信じられなかったらしい。
しかしこれは日本では当たり前のことであり、よくある半農半漁の村だった。
幕府は開港までに2本の桟橋と税関を設けた。
桟橋は花崗岩でできていて長さ60貫(約100m)幅10貫(約18m)
《横浜の日本人町》
横浜の都市計画
日本人町建設による横浜への商人移住の奨励
開港場の必要施設の建設を前提に進められた
<日本人町>
中央を東西に走る本町通り5本の道路があり都市の構造ができた
幕府は積極的に商人移住奨励策を進め各地からで店を希望する商人が移住した
特に当時「走り屋」と呼ばれる冒険的な商人(一獲千金を夢見た人たち)からは人気があった
開港して1年の横浜の変貌はすごかった
生糸売り込み商が93軒
絹物、緑茶、陶磁器などの売り込み商が90軒他にも100件くらい一気に華やかになる!
一大経済都市の形成
→これはすごい発展で現在の社会では法律や会社形態などの事情からあり得ないことだと思う。
ようはただのどこにでもある村だったのが1年でいきなり経済都市に発展したのであり
もしその都市がうまくいかなくても都市が形成されたという事実が大きくその地域全体、
国全体に大きな衝撃と大きな活気をもたらしたのではないだろうか
またそれにより貿易もますます盛んになり、日本は新しい物資、文化、考え方など
多くのモノや情報を得られることができた
《ペリーが来航して》
ペリーが来航して鎖国状態で、閉鎖的であった日本は貿易を始め、とても豊かになったと思う。
ただやはり最初日本人の黒船に対する感想は恐怖だったので鎖国という政策は日本の経済にマイナスだった
と思う。もし最初黒船が来たときにあまりの恐怖で攻撃していたら、横浜の人たちはペリーさんたちの正当防衛
により殺されていたかもしれない。→幕府はあらかじめ来航を知っていいたからたぶん戦争にはならなかった
と思うが、そのためこの時代の最良の社会構成は幕府は完全の情報を全ての国民に知らせるべきであり、
鎖国制度など国民が異人に対して恐怖心を抱くような制度はなければよかった。
現代の”知る権利”や国会の衆議院の優越など国民の意見が一番といった制度はやはりできあがったもの
だなと感じる。また幕府の在り方も問題だったと思う。なぜ情報の公開や鎖国制度をとったのか?
それは幕府だけが一時的に儲かるためで、国民は二の次だという考えだったためかと思われる、現代の国民の経済活動
で資金が増えそれにより国全体がよい方向になるという遠回しだがそうすると一部の人間だけでなく全ての人間が
幸せになり前者よりもより多くの金が手に入るということがやはり最良である。個の時間的な制約のため当時の幕府は
そういう政策だったのだろうか?そこまで頭が回らなかったのだろうか?もしくはそうせざるを得ない状況に国が陥って
いたのだろうか?もしそうならそれは戦争や国同士の上下関係である。
そのため結果的に閉鎖的、病気的な判断を国全体がしてしまったのである。いつの時代も落ち着いて全ての人間が
幸せであるようにという人間の道徳から生まれるもっとも単純で明快なことを実践しないので戦争や間違った政策などで
経済がうまく発展しない状況に陥っていると僕はいつも思う。
このことによりやはり人の上に立つ者はちゃんと考えられる人間でないと国が崩壊するということを重々感じ、
地位や権力の”継承”という概念はおかしなものであると感じる。
とてもできた人間の子供はまたできた人間という発想は間違っているのではないだろうか?いくら同じ遺伝子
だったとしても、同じ人間は2人といないのである。しかし日本人の多くはこの継承を正しいものと感じているの
ではないだろうか?その原因は昔から日本の権力者たちがその子供に権力を後継させていたからである。それにより
日本人の一番根底にある考えに”後継”は当たり前のことという概念が植え付けられていると思う。
このことから今後の日本の経済発展を含む全ての発展を望むのなら後継という概念は捨てその人間そのものを見て
判断し代表者を決めていかなければならないとつくづく思う