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		考察1:港全体における知識
最初の港の開港当初、日本は長い鎖国からあけたばかりであり外国との交易とは何かも分からず
外国から学ぶしかなかった。(交易の手立て築港工技術までも)
→全ての港が外国より遅くに生まれたわけなので、どの港も何らかの外国の影響を受けている。
(日本独自ではないため、間違ったことも輸入されている可能性がある)
欧米の列強に「追いつけ」「追い越せ」といった焦りがあったため、それにより展開した殖産興業政策
は営造物思想が支配し港湾社会と市民社会は隔絶された状態で存在した。
→港を構成する組織や人的関係はほとんどなかった。(どのの港も当初はそういう風だったため
出始めの港は改善するべき点が大いにあったと思われる)

《戦後》
民主化が叫ばれ「財閥の解体」「農地改革」といった一連の民主化政策は港湾社会にも影響した
→【港の歴史を調べるとき、民主化がその港にどのように影響したかをレポートに書く!】
(どの港にも必ずあるべき!)
その結果全体として”港湾法”が制定された。→何年?その前後の歴史は?
結果港湾法ではあまり民主化や近代化は起こらなかった。

政府のかじ取りで港湾設備が行われた。→重工業から重化学工業になど
新しい産業構造で各港は、忙しく人間の問題、組織の問題にまで目が行き届かなかった。


港の機能の変化
重厚長大型から軽薄短小型へ(日本の産業構造自体の変化)←石油危機出による貿易摩擦から

成熟した社会の港湾問題の解決を図りつつ
港の未来の在り方を考慮すべき
【成熟した社会の港湾問題の解決策をレポートに書く】
(人的な問題、時間的な問題、お金的、道徳的な問題など多くの弊害があるかもしれないが
これも一手段だという解決策を考えて書く)
→そのため調べる港湾の重大な問題点を1,2個洗い出す作業が必要になる。港全体の解決策
よりも1つの港湾の問題の解決策のほうが考えやすいかも
港湾の大きな問題点を解決するということは、港湾がより発展するということで一番近くにある
港町に与える影響も大きいと思うためこのレポート”港と地域発展”というテーマに沿っていると
思われる。
貿易をする→外国人が来る→物品だけでなくスキルや文化も会得することができる。
また店にとってはお客さんが増えるわけで売り上げも伸び
外国の文化やスキルを学ぶために活発な港町に移住する日本人も多かったと思われる。
そのデメリットは交易が盛んな地域には多くの人が集まり活発になるがそうでない地域はだんだん
過疎化が進みその地域にもともとあった文化や工芸品も衰退するかもしれない
今はそれほどでもないかもしれないが当初は珍しいものに人間が一気に集まりその勢いで衰退したもの
なくなったものもあるかもしれない
メリットは人が集まり、その地域が発展する→また港湾も発展する→また地域が発展する
といった相乗効果があったかもしれない。

《予備知識》
日米修好通商条約の締結によって我が国は神奈川(横浜)、長崎、函館、新潟、兵庫の開港
江戸、大阪の開市を約束した
→当時日本はアメリカのかなり強い支配下にあったと推測される。
その後安政5カ国条約→オランダ、ロシア、イギリス、フランス、の間でも同様の条約を締結した。
最初は先進国に有利な条件であり日本には好ましい交易ではなかった。
しかし開港により欧米列強との貿易がスタートしたのである。